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ボーモント (テキサス州) : ミニ英和和英辞書
ボーモント (テキサス州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ボーモント (テキサス州) : ウィキペディア日本語版
ボーモント (テキサス州)[す, しゅう]

ボーモント (Beaumont) は、アメリカ合衆国テキサス州南東部に位置する都市。ヒューストンの東約130km、テキサス・ルイジアナ州境の西約40kmに位置する。人口は118,296人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕。近隣のポートアーサーオレンジと共に形成している、「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれる都市圏はジェファーソン郡を中心に4郡にまたがり、人口403,190人(2010年国勢調査)を抱えている〔。
ボーモントは1901年スピンドルトップの油田が発見されて以来、テキサスで最初の石油産業の街として、また全米有数の港湾であるボーモント港を前面に抱える港湾都市として発展してきた。ボーモント港の周辺には石油精製施設が建ち並んでいる。しかしその一方で、石油化学産業による深刻な大気汚染も取り沙汰されている〔Rhor, Monica. Texas toxic town lures industry while residents wheeze . ''Associated Press''. 2007年10月20日.〕。
また、一帯は20世紀初頭に日本人が移入し、稲作を広めた地でもある。新潟県長岡市出身の実業家、岸吉松1907年、当時ボーモント東郊にあったテリーという町に「キシ・コロニー」と呼ばれた日本人入植地を創設し、稲作農家を中心に日系人移民を集めた。やがて岸はキシ・コロニーで発見された石油の採掘で財を成し、「バロン・キシ」と呼ばれた。この油田には山本五十六も関心を示した。
==歴史==
1835年ニューヨーク州出身の実業家ヘンリー・ミラードがマサチューセッツ州出身のジョセフ・P・プルシファーと共に設立した会社、J・P・プルシファー・アンド・カンパニーはネッチ川のほとりに50エーカー(約20ha)の土地を購入し、ボーモントの町を創設した。町の名はその前年にニューオーリンズで死去したミラードの妻で、ミシシッピ州ナチェズの豪商の娘であったメアリーの旧姓からつけられた(ナチェズに住んでいた義兄ジェファーソン・ボーモントにちなんでつけられたという説もある)〔Linsley, Judith and Ellen Rienstra. Millard, Henry . ''Handbook of Texas Online''.〕。1838年にボーモントは正式な町となった。

ボーモントはその初期から起業によって栄えてきた。創設されて間もない頃は不動産、交通、小売が、後に鉄道、建設、材木販売、コミュニケーションが興った。こうした産業により、ボーモントは牛の牧畜や農業の小中心地となった。南北戦争後の鉄道の復旧と延伸により、19世紀後半にはボーモントは製材ブームとなった。やがて1880年代、川に蒸気船が行き交うようになると、ボーモントは製材と米の籾摺りの中心地となった。1892年に創設されたボーモント・ライス・ミルは、テキサス州で最初の籾摺り所であった。1900年代初頭には、ボーモントはサザン・パシフィック、カンザスシティ・サザン、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ、ミズーリ・パシフィックといった鉄道の路線が集中する、鉄道交通のハブとなっていた〔Schaadt, Robert L. ''The Business of Beaumont Prior to 1880''. ''Texas Gulf Historical and Biographical Record''. Vol.42. pp.34-53. 2006年.〕。
1901年1月、ボーモント南東のスピンドルトップで油田が発見されると、ボーモントは瞬く間に石油産業で栄え始めた。 1901年1月に9,000人であった人口は、わずか2ヵ月後の3月にはその3倍以上の30,000人に達した。ボーモント東郊のテリーに入植した岸吉松1907年に創設し、稲作を行っていた日本人入植地、「キシ・コロニー」でも1919年に石油が見つかった。岸はこの石油資源に関心を示した山本五十六との会合の後、オレンジ石油会社を設立して財を成した〔''Recalling Kishi''. ''The Beaumont Enterprise''.〕。
1920年代に活動した博愛主義者、ウィリアム・キャスパー・ティレルはボーモント港の整備、地元の米産業、郊外の開発、公立図書館化目的でのファースト・バプテスト教会への寄付といった様々なプロジェクトに寄与し、ボーモントに経済・文化両面での発展をもたらした。ファースト・バプテスト教会は2002年にティレル歴史図書館になった〔Smith, Carolyn Davis. ''Captain William Casper Tyrrell: Philanthropist Extraordinaire and the Legacy of Philanthropy in Beaumont''. ''Texas Gulf Historical and Biographical Record''. Vol.38. pp.5-18. 2002年.〕。
第二次世界大戦中には、ボーモントは造船の中心地となり、テキサス州内の農村に住んでいた労働者が高給を求めてボーモントに殺到した。しかしその一方で、住宅供給の逼迫や人種間の緊張の高まりといった問題も抱えていた。1943年、黒人男性による白人女性への強姦事件をきっかけに、ペンシルベニア造船所の労働者約2,000人が決起し、やがて「1943年のボーモント暴動」と呼ばれる人種暴動へとつながった〔Beaumont Riot of 1943 . ''Handbook of Texas Online''.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボーモント (テキサス州)」の詳細全文を読む




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